ラクに生きる〜個性がないと悩む人へ贈りたい記事を紹介します
こじらせ暗黒時代の過去を持つ管理人です。
「個性がない」
若い頃には個性についてたくさん悩みました。
周りのみんなばかりがキラキラ輝いて見えてしまうアレですね。
それに比べて自分は…というやつです。
今でこそ個性のなさを感じて悩むことの無意味さを理解していますが、その当時は真剣でした。
せっかくの正直な自分を認めずに隠そうとして、自分じゃない自分を演じようとしてみたり、他人にとって何がなんでも意味のある自分になろうと(勝手に)必死にもがいていた。
あ〜恥ずかしい!!恥ずかしすぎる!!
あ、個性がないことに思い悩むことが「恥ずかしい」ことのように表現してしまいましたが、経験者であるからこそ、そしてそんなことで悩む必要がなかったことを理解しているからこそ、今このように表現してしまうことをご理解いただければと思います。
最近管理人が読んだ記事の中で、「個性がない」という悩みについての答えが素晴らしくわかりやすかった記事がありました。
温かく、でも淡々としていて、とっても腑に落ちやすかったんですよね。
その記事を今回はご紹介したいと思います。
個性がないことが悩むことではない理由を知る
さっそくご紹介します。
以下のリンクの記事になります。
→ 個性がない悩みがなぜ自然と笑い話になったのか(Webサイト「こころにまるを」より)
「個性がないと感じる心」の先には、たいてい「自己否定している気持ち」があることを示唆してくれています。
普通に生きている人の中で、ここを見抜くことができる人はごく少数でしょう。
個性がないと思い悩む人は、結局ここの気づかぬまま新しい何者かになろうとして、結局同じ思いを繰り返してしまっているのではないかと感じるのです。
恐らく自己否定的であるうちは、どんな個性を持っていたとしても満足することはないと思うのです。
そして優しく綴られる「普通」と「変」を認め受け入れることの重要性。
「個性がない」と思っているのって、客観的に考えてみると自分だけだったりしませんかね?
他の人には「〇〇さんはこういう人だよね」としっかり認識されているはず、にもかかわらず。
自分が他人を見たときは、その人がどんなに普通であろうがその中にもその人なりの個性が見えるはずです。
結局悩んでいるのは自分だけ。あるはずの個性を蔑ろにしようとしているのも、自己否定の中にある自分だけ。なワケです。
また、自分を構成する一つである大切な自分の「変」な部分をどこかに置いてきてしまった人も実は多いのではないでしょうか?
管理人も思い当たる節があります。
素の自分を晒した時にそれを認めてもらえなかったり、おかしく思われたりしてしまったこと、ありませんか?
一旦そうなると、それ以降はもう自分のそう言う部分は一切出さないように、それくらい後々まで気にしていました。
「受け入れられないこと」って、自分が性格的にも気にするタイプだったのもありますが、とくに幼少期や思春期には非常に辛いことのような気がします。
その時の苦い経験は、自分が子供を育てるときに十分役に立ったので良かったですが。(転んでもただでは起きません!)
個性について悩んでいた頃の自分を今振り返ってみると、私たちは気にしなくていいことを気にしてみたり、悩まなくてもいいことに悩んでみたり、なんとも無駄なことをする生き物だなぁと、つくづく感じてしまいました。
無条件に「自分はこれでいいんだ」と思えるところがスタートラインなんです。
ここに立たなければ、いくら向上心を持って頑張っても、また辛くなってしまうものなのです。
まとめ
戦略的に敢えて個性を追求しなければならない場合以外は、「個性がない」という悩みは「悩まなくても良い悩み」の一つと言えるように思います。
「あの人は個性的だよね」と言われている人でも、別の人からみれば全く個性を感じられない人かもしれません。
逆に外からどんなに普通の人に見られようとも、あなたのスタイルというものはあなたの中に確かにあるはず。
今回紹介させていただいた記事は、筆者の体験談も含まれており、とてもすんなり心に入ってくるいい記事だと思ったので紹介させていただきました。
このサイトでは他にもラクに生きることができるヒントが盛りだくさんありますので、ぜひご覧になってみてください。
ちなみにこの記事のことを考えている時にAmazonをブラブラしていたら、こんな本を発見しました。
「個性を捨てろ!型にはまれ!」だそうですよ。
ちょっと面白そうじゃないですか?読んでみようかなぁ。
では、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません