自己否定を卒業した先の現在の話。自分を認めた後の私とは?
こんにちは、naikoです♫
私は自分嫌いを克服したと言えるようになってから数年経ちました。
そんな今の話を雑記として記しておきます。
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今は、毎日一日中自分の嫌な部分のことで悩んでいたあの日々が嘘のような毎日です。
本当にストレスは軽くなりました。
ハゲもできなくなったしね(笑)。
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しかし「自分を受け入れた」とは言っても、基本的に内気な性格や上がり症な性質、HSP気質、とにかくポンコツな部分は、以前とまったく変わりありません(笑)。
相変わらず私は何の取り柄もなく、出会った人たちに支えられながら生きていて、甘えてさせてもらってばかりです。
どうしようもない奴だなぁと心底感じます。
きっと生きている間に何も残すことなんてできずに死ぬんでしょう。
なんとなくそこだけは悔しい感じ…(笑、要らぬプライド)。
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自分嫌いを克服しましたが、別に自分のことを大好きになったわけではないのです。
普通です(笑)。
そんなもんなんだと思います。
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考えれば考えるほど、過去の私は自分に過大な期待をして、ずいぶんと大きく見積もっていたなぁと思うわけです。(あくまで私の場合はです)
どこか自分に隠れた才能みたいなものがあるような気がしていたんでしょうか。
私なんて本当に本当に何もない、ただの凡人なのに。
幸い何者でもない単なる一人のヒトであることに気づき、自分の愚かさに気づき。
そうやって初めてやっと身の程を知れた気がします。
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自分を認めてあげることができていないことに幸か不幸か気づいてしまった私は、その問題が解決されないと先に進めませんでした(あくまで私の場合はです)。
まぁ気づかずに進んでいても、私はいずれダメになっていたと思います。
しかし気づいて修正しようとしてしまったんですね。
私のような人間ばかりじゃなくて楽しく生きている人が実際にいたわけですから。
その違いを調べて、原因を調べて、ようやく今。
長かったような気もするけど、まぁ人生の長さからしたら一瞬だと、そう信じたいです(笑)。
しかしやっぱり人間って、無意識下ではやっぱり自分が一番かわいいんですね。
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「自分が認めていない自分を背負う」ということの重苦しさを今はしみじみと感じます。
結局人間は、自分を受け入れないことには、見るものすべてに正しい視線を向けてあげられないんじゃないだろうか?
根っこが歪んだままだとすべての景色が歪んでしまうんです。
それを身を持って知った気がするのです。
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自分の悩みのことに費やされていた時間は、今は自分のやりたいこと、好きなこと、家族を想うことなどに費やされているんだと思います。
自分にとって大切なものがハッキリした気がします。
あとはやっぱり周りの人達の支えがあってこその私なので、感謝がより深くなりましたね。
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さぁ、くだらない自分語りをしてしまいました、すみません…(汗)。
なんとなく何かしらのビフォーアフターって面白くないですか?
結果も途中経過も気になっちゃったりとかして(笑)。
長くなりました。
ではではまた次回の記事でお会いしましょう♫
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