3人以上になると途端に話さなくなる人間の言い分。
私は恐らく必要以上に話さない基本おとなしい人間と思われている。
明らかな質問事項などがあるときは別だが、自分から声をかけることはあまりない。
本当に他愛ない世間話の口火を切るのが超下手くそ。
母親の口から生まれてきたかったと定期的に考える。
そんな私でもわりとスムーズに話せるシーンがある。
それが1対1の場面。
サシで飲むのも大好き。
2人だと饒舌になり、不思議と会話も長持ちする。
じゃ、それなんで?と聞かれると、答えは簡単。
1対1であれば、相手も自分に向き合うから。
人の話を聞かないでベラベラ話す人のなんと多いこと。
2人から3人になるだけで、その現象はとても増える傾向にあると感じてしまうのだ。
そして人の話を聞けない人があまり好きではない(誰でもそうか?)。
私の周りにたまたま話を聞けない人が多いだけなんだと信じたい。
じゃないと世の中終わってる(泣)。
あともうひとつ。
3人以上になると自分がいなくても話が回るので、自分が参加しなくてもいいよね?と感じてしまい、自然とフェードアウトする。
今でこそその場に居続けることはできるけど、正直なかなかに苦痛だ。
こんなふうに感じてしまうのは恐らく元々自己肯定感0の後遺症だと感じている。
自己肯定感の低い人間というのは、発言の価値とか余計なこと考えちゃいがちなのだ。
もちろん単なる会話で発言の価値とかそんなの誰も考えないで話していることは、今ならよくわかる。
そしてなんなら自分の話が聞かれようが聞かれなかろうが、まったくお構いなしに楽しめる人も多いことを知っている。
ああぁ、各種勉強会やらパーティやら、そんな場所で気軽に誰とでも話せればどんなにラクなんだろうか?
ひとりでいても不自然に見えない過ごし方を考えなくてもいいって、どんなにラクなんだろうか?
もしくは誰かしらが自動的に話しかけてくれるようなハッと目を惹くような美女でもあれば多少は違ったのかもしれない。
不毛な悩みは尽きない。
自分はまだまだ異質で面倒な人間なんかな〜と思いながらも、最近の風潮としては嬉しいことに自分に必要な人とだけ接すればいい、自分を大切にしてくれる人とだけ付き合えばいいよ!みたいな感じのようで。
私には超絶喜ばしいこのような風潮のおかげで、最近では堂々とその心持ちで生きることができている。
しかし、実は若い時の私は「素敵な大人」になりたかったはずなのだ。
そんな昔に憧れた素敵な大人は決してこんなノミのようにちっちゃなことでは悩んでいないし、どんな人とでも上手にコミュニケーションを取れるような気配り溢れる人間だったはずなのである。
しかし考えてみれば、すでにあの頃には自分の性質が確立されており、自分のことでアップアップして友達も少ない人間がその憧れ像に近づくにはちょっと無理があったような?
過去の自分にヨシヨシと心の中で声をかけながら今日は眠ろう。
今日の小さな雑筆、終わり。。
おやすみなさい。。
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