説明書を読まない人に憧れる
何故かはわからないが、昔から失敗を恐れがちだった。
失敗が恐怖だった。
幼稚園初日の帰り道に、その日たまたまお休みだった違う子のお道具箱を使ってしまったような気がして、たったそれだけのことが心配で心配で母に幼稚園に電話をかけさせてしまったこともあった。
小心者の心配性だ。
HSP街道ど真ん中を見事に歩いていた。
おかげでなるべく失敗を避けていくような能力には長けているかもしれないが、多くの失敗から学ぶという実のある体験はあまりなかったように思う。
(その反動なのか、大人になってからおかしな冒険心がムクムクと湧いてきてしまって困っている。(それでも大きな失敗はしたくないので、比較的小さなチャレンジだ)
そんな自分はなんとなく無鉄砲さに憧れを持つことがある。
その一つが「説明書を見ない人」である。
自分は説明書はあれば必ず読む。
実際に一度目を通しておくだけでスムーズに事が運ぶし、知っておいた方が良いことなども頭に入ることがわかっているからである。
説明書を見ずに事を始めてしまう人は案の定途中で何度も「あれ?」と呟きながら、しまいにはできないことに苛立ち始めたりする。
それでも見ようとしない人もいる。
説明書を見る側の人間からしてみれば「それちゃんと説明書に書いてありまっせ」なんて思うことばかりなのだが、そんなジタバタしている姿が何ともお茶目だ。
どうして最初に説明書を見ないんだろう?
どうして?
まったく意味がわからない。
途中でできなくてイライラするのなら初めから見ればいいのに。
それでも何の準備もなしにスイっとその世界に飛び込んでいける身軽さが何とも羨ましくも思えてくるから不思議だ。
「わからなくなったら見ればいい。」
確かにそれもそうだな。
でもその時点で自分がどこまで進めたか、それが説明書のどのあたりに書かれているのか、まずそれを見つけ出す作業が自分には面倒に思えてしまうのだが。
そして結局イラ立ちが増してプンプンしているのがまた可愛らしい。(ガチギレだけは勘弁だけど)
説明書を見ない人は見ない人で、こんなふうに人を楽しませることもできるんだな、いいなぁ。
また中には説明書を見なくても非常にスムーズに何でもこなす人がいるのも事実。
そういった人たちはきっと知識もあり、それまでの失敗を糧に学んでこられた人なんだろうなぁと勝手に想像して、尊敬の念を抱いてしまう。
どっちにしても、説明書見ない人、なんかいいよな。
説明書見る側の自分なんて、悲しいことにそれだけでなんか面倒くさそうな人だと思われることもある。
しかし結局のところ自分は、説明書を見ること自体が好きだから、これからもきっと見てしまうと思う。
とまぁ、こんなしょうもないことを考えていた夜なのでした。
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