「娘」という手強い壁、そして忘れていたこと
うちの子供は中学生の娘です。
幸いまだ受験生ではないのですが、入学したばかりなわけでもなく、中だるみもしがちで危うい学年であります。
彼女が幼い頃から、基本的には健康に元気で生活してくれればそれで良し!それがすべて!多くは望まん!と思っていたのですが…。
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宿題と家庭学習ノートの提出があった小学校時代が終わると、すっかり自宅で勉強する姿は見なくなってしまいました。
外での娘は非常に上手くやっているらしく、友達と話すのが大好きで、明るく元気で積極的な性格です。
その分、家では全面的に甘えが出てしまっているんでしょうか。ビックリするくらい何もしません(笑)。
寝てるか、スマホ見てるか、友達と電話してるか、何か食べてるか(笑)。典型的ですね。
生活面でも、親がやるように促したことを自分が嫌ならまったく手をつけようともしません。
怒られてもその時だけはシュンとしますが、まったく懲りず結局同じことで何度も繰り返し怒られ続けるという始末…。
勉強の成績は良くも悪くもなく人並みでしたが、その成績もやはり下がってきている様子。
私はそれでも自分の娘にしては十分によくできた娘だと思っていたし、何よりやりたいことに向かっていく力は強いと信じていました。
だから最近はなるべく娘の自主性に任せつつ接していたんですよね。
いつか、いつか、しっかりやるだろう。
このいつかが来るのか来ないのかは、全くわかりませんでしたが。
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そう思い悩んでいた矢先、実父に言われました。
「子供の意思を尊重するのもいいかもしれないけど、親はより良い方向に導いてやらないといけないんじゃないか?」
正直少しハッとしてしまいました。
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「育てる」ということは嫌というほど意識していた自負はあります。
しかし「導く」とは。
今までだって娘に対して全く何のアプローチもしていなかったわけでは、決してないのです。
子供に自我が芽生え始めるまでは当然していたことでもあり。
でも…少し諦めかけてはいたかもしれません。
娘はもはや手強い壁でした。
父の言葉にハッとしてしまった理由。それは…
「嫌がることから目を背ける」娘のそんなところに対して私自身が向き合うことが面倒になり、いつの日からか全てを本人任せにしようとしていたからかも。
勉強しないのも本人の自由、遊ぶのも本人の自由、そして後悔するのも本人の自由。
結局本人が経験しないと何もわからないのだから、と。
実際に、苦い経験や辛い経験も人間性に深みを与える大切な要素ですし、本人が経験して理解し納得することも大切です。
ただ、良い経験を積むにしろ、悪い経験を積むにしろ、最終的に娘自身が「より幸せになれる選択ができる」人間になれる方が良いに決まっています。
私は大切なことを忘れかけていたんだな。
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見張るのではなく、見守るんだとは良く言うものですが。
まだまだ中学生、しっかり見守ってあげて、愛されている安心感を与え続ける。
親として単に育てるのではなく「育み、そしてより良い方向へ導く」。
今の私は果たしてそんな風にできていただろうか?
自分だって今まで散々いろいろな体験をしてきているじゃないか。
ダテに40年生きてるわけじゃないだろうよ…。
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投げ出すのはものすごく簡単。いつでもできます。
でも私、実はしぶといんです(笑)!!
しかもなんて言ったってターゲットは愛する我が娘っっ!!
まだ愛情もアプローチも荒ーいっっ!!荒すぎるぞ!!
まだまだもっといろんなアプローチの方法はあるはずだよね!!
ちなみに私は親離れならぬ子離れは、もうすでにいつでもできるくらいの気持ちで子育てしているつもりです。
いつか別れる日が来る前に、しっかり娘の胸に響くようなアプローチで大切なことを伝え続けられたらいいな。
そんなこんなで、もっと娘にしてやれることはたくさんあるのではないかと思い直した次第でした。
とんだ駄文ですみません。ではまた。
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