UnsplashDanie Francoが撮影した写真

ラクに生きる〜いつも頭の片隅に「死」を。死ぬのが怖いの個人的受け止め方。

ラクに生きる,生き方,雑筆

※当メディアはアフィリエイト広告を利用しています。

そんなに大袈裟な話ではないのですが、タイトルが重いとツッコミが入りそうです。

こんにちは、管理人です。

どうか今すぐページを閉じずに、少しだけ読んでいただけると励みになります。


死はいつかは訪れる平等なもの

死は重い出来事かもしれません。

ただ、これは真実であり、当たり前のことです。

そのため自分自身も、いつこの命が消えても後悔しないように生きています。

自分だけでなく、周りにいる大切な人もいつどうなるかは本当にわかりません。

いつも頭の片隅にそんな思いがあります。

いつも死が頭の片隅にあります。

考えすぎでしょうか?自分はそうは思いません。

かと言って、毎日どんよりと感傷的に過ごしているわけでもありません。

とても根本的であり、かつ大切なことだと思います。

人の命はいつかは消えてしまうもので、それがいつなのか、早いか遅いかはわかりません。

一緒に笑い合っていても、次の瞬間には何か事態が変わってしまうこともあるかもしれないし。


死ぬのが怖い?

死を思うと、恐ろしかったり悲しい気持ちになるかもしれません。

経験しなければわからないけど、経験しても伝えることのできない「死」。

誰もわからない死。

人は生きてるだけでたくさんの感情を抱きますし、たくさんの経験を重ねます。

積み重ねてきたそれらが身体もろとも途絶えて、終わりを迎えてしまう。

死にゆくことは、怖いし、悲しいし、悔しいかもしれません。

でも普段から頭の片隅に死を置いておくと、実はそんなに怖くはなくなります。

死を頭の片隅に置いて生きることで、否が応でも普段の生活を粗末に生きることが減るからです。

粗末に生きることが減ると、いつも自分がなるべく満足できる、納得できる選択ができるようになってきます。

たとえ何もしない一日を過ごしたとしても、それは自分が心から得ようとした過ごし方であるため、後悔することはありません。

何も考えずに惰性で決めた選択ではないので、いつでも後悔はありません。


誰かの死

自分ではなく、誰かが突然去ってしまうこともあるでしょう。

これも人と関わっている以上は避けられない事態です。

大切な人であれば、なおさら悲しみは深くなるでしょう。

でも。

生きていたって縁がなければ離れたり別れることもあります。

大切に思っていないのなら、会う必要も会いたいと思う気持ちも生まれません。

別れは非常に身近で、死もまたそんな別れのひとつです。

とても身近なものだと思うのです。

そんなこと言っても、生きていたらまた会える。

死んだらもう会えない、そんな声も聞こえますが。

「死んでもまたいつか会える。」

そんなふうにも思うのです。

どんな人の命もいずれ消えるから。

自分の命も消えるから。

死んだ後のことなんてわからないから。

それなら尚更、大切な人には「またね」と。

笑顔で「またね」と伝えて別れたい。

自分がそっちに行ったらまた会おうね。

こんなふうに、笑顔で「またね」と言って別れたい。

きっとそんなに、悲しむことじゃない。

少し時間があくけど、どうせまた会いに行くから。

空いた時間が少しだけ寂しいかもしれないけど、どうせまた会えるから。

一緒に過ごす日々はここで一度途絶えてしまうけど、あなたという人がいない新しい生活がまたすぐ始まってしまうから。

今までの景色からあなたはいなくなってしまうけど、それでも自分の生活はまだ進むから。

そう、新しい日々は待ってはくれません。

今までと少しだけ違う生活の始まりです。

命ある限り、生きている限りは最後のその時まで、なるべく自分の人生を粗末にしないで生きたい。

きっと世界中で、今現在もたくさんの人が亡くなっているだろう。

自分の知らない死がたくさんある。

知ってしまったけど横目で見るだけの死もあると思う。

大切な人を失った人も数多くいると思う。

そんな今、管理人が思うのは、こんなことでした。


では、今回も最後まで付き合っていただき本当にありがとうございました。

もし縁を感じたら、また遊びにきてくださいね。


↓↓ いつもクリックありがとうございます♫

ブログランキング・にほんブログ村へ