カッコ悪い自分を晒す、「ラクに生きたい」雑記シリーズ

2022年7月19日ラクに生きる,生き方,雑筆

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商品レビューを書こうと思っていたのですが、今回は少し雑談にお付き合いください。

先日、久しぶりに危ないところまでメンタルが落ちました。

簡単に言えば周りがすごい人たちばかりなのに、自分は…みたいなやつです。

私の場合は、小さな頃からそれが家族で。

親や兄弟。

私がうまいこと生きてこれなかったのは、自分のHSPである性質的問題や性格的問題もあるとは思うのですが、そのほかの大きな部分はコレなんです。(恐らく)

親は非常にバイタリティに溢れ、エネルギッシュに自分の夢に向かってひたむきに努力できる人です。

恐ろしいほどの努力家です。

そして実際に夢を掴み取ります。

そんな親ですから、子供に対しても「人間こう生きるべきだ」的な教えを説き、そして多大な期待を抱いていました。

私は物心ついた時にはそんな家庭だったので、それが世の当たり前であると信じていたのでしょう。

最初は期待に応えるべく無意識に頑張っていたんだと思いますが、その後「なんだかおかしいぞ」と自分の異変に気づき始めます。

自分の本当の心や思考、それと実際にしていることのズレや当時の私には到底原因のわからない過剰なストレスに負けてしまい、結局は心や思考が麻痺しておかしくなってしまったようです。

自分を出すことを極端に恐れ、自分の気持ちは置き去りに、その場を凌ぐだけで精一杯の毎日を何年も何年も積み重ねていくことになります。

今はそのことを理解していますし、もちろん個人的な性質、性格のせいでもあることも理解しているつもりで、原因がわからなくて日々の生活が苦しくてたまらない、ということはなくなりました。

それでも根幹には期待に応えられなかった自分が、いまだにひっそりと胸の奥底で体育座りをしているように思います。

私は結局は長い間、あの家族の中の一人としての自分が許せず、責めてを繰り返していたことになります。

でも、これってとても無意味で悲惨なことなんですよね。

いずれ誰もが死に至ります。

親も死んでしまえば呪縛から解き放たれる、と思っている人もいるかもしれませんが。

それはおかしな話なんですよね。

私も忘れていて再確認できたのですが、本来は親が生きていたってそんな呪縛から離れて、人間そこに生まれ落ちた時から自分として生きるべきなんですよね。

長らくそんな単純なことができずにいたわけですね。

加えて、呪縛と思っているそれも、自分が呪縛だと思っているだけなわけで。

一人相撲です、ホント。

おかげで中年になった今も、そんな当たり前のことを再確認しながら生きなければならない羽目になっています。

我ながら、やれやれ…。

私の子供はやや繊細な部分も持ち合わせてはいるようですが、おかげさまでしっかりと自分の人生を生きている気がします。

親として、自分に似てしまったら…と本当に不安がありましたが、そこに少しだけホッとします。

自分のようにならなくて本当に良かったと思うのです。

というか、子供が「お母さん、人生ってこういうふうに生きるんだよ!」

そんなふうに教えられている気がするんです。

なんとも情けない親ですよね(笑)。

本当にどうでもいい話でしたが、自分に自信が持てず、自己嫌悪に悩まされている人たちにもしかしたら少し勇気をあげられるかも…と思い、今の情けない自分そのままの話をしてみました。

読んでいただきありがとうございました。

ではまた♫

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